BOUZE-NOTE's

Jul 04

“マッコウクジラの内部はとても広々としていて、ときには胃袋の中から二万八千匹以上ものイカやタコが見つかったという記録もある。例の船員もやはり、クジラの体内では決してひとりぼっちではなかったのだろう。おそらく何十万という数の、吸盤つきのタコの足に巻きつかれたり、なでられたり、吟味されたりしたにちがいないのだ。そう考えると、生還した船員が二週間も錯乱していたという話もあながちおおげさではないように思える。ぼくたちのまわりには、ほんのちょっとしたことでもすぐにまいってしまい、精神科のセラピーが必要になる人だっているのだから。” — P44 クジラ――大いなる胃袋へのご招待『キリンと暮らす クジラと眠る』アクセル・ハッケ作/ミヒャエル・ゾーヴァ絵 講談社

昔の人は、キリンが、ラクダとヒョウの子どもだと信じていたようだ。一方からは長い首と優しい目を、もう一方からはまだら模様の毛皮を授けられたのだと。

シーザー時代のローマで、キリンのことをキャメルレオパルド(ヒョウの模様をしたラクダ)と呼んでいたのもそのためだし、そこから転じて、動物学的にも、ジラッファ・カメロパリダリスというラテン語の名称がついたのだそうだ。

” — P80 キリン――都会暮らしに最適のパートナー『キリンと暮らす クジラと眠る』アクセル・ハッケ作/ミヒャエル・ゾーヴァ絵 講談社

“「あたらしい村づくりというのは、自由な人間の集まりだよ。だれもやろうとしないような、冒険的で、ちょっぴりぶきみなことをやろうという人間の集まりなんだ」
「なんですって?」
ミムラのむすめは、興味をそそられたようでした。” — P165『ムーミンパパの思いで』ヤンソン、講談社文庫

“この世はすぐには良い方向には変わりません。ただ、一人ひとりの願いがずっと続いていくことで、長い時間で見ると変わっていくかもしれません。悲願をもって一人ひとりが変える一つの力になっていこうとするのが仏教の教えです。そして、私なりのささやかな慈悲を実践して行くのが念仏者としての私の立場です。そういう気持ちで、法然院を今後も預かっていきたいと思っています。” — P144 法然院 貫主 梶田真章 仏教と先祖教 『宗教者に聞く! 日本編・上』読売新聞大阪本社編/法蔵館

人はすぐ、「あの人はいい人だ、悪い人だ」とレッテルを貼ります。法然、親鸞は、人間はみんな凡夫であって、自由意思で修行を積んで悟りを開くことはできない、自力では悟れない、と考えました。なぜなら縁によって悪くなったり良くなったりするから、その人が良いか悪いかは、その人が出会う人や物によってコロコロと変わると考えました。人間は他人に裏切られますが、時として自分にも裏切られます。法然は言います。

「われらが往生は、ゆめゆめ、わが身のよしあしにはより候まじ。ひとえに仏の御ちからにばかりにて候べきなり」

極楽往生に私の善悪は関係がないということです。

” — P143 法然院 貫主 梶田真章 仏教と先祖教 『宗教者に聞く! 日本編・上』読売新聞大阪本社編/法蔵館

お釈迦さまの悟りを漢字二文字で書けば「縁起」、一文字なら「空」と私は答えます。お釈迦さまの教えのなかには「一切皆苦」というものがあります。「苦」を私は「自分の思うままにならないこと」と解釈しています。私の人生は自分で決めているようで、じつはみんなで決めているのです。

思い通りにはならず、生きていくのに悩み苦しむのは当たり前で、お釈迦さまは苦しみたくなかったら「我にこだわるな」と言っておられます。そうは言っても煩悩を断てない人もいます。「ありのままに生きればいいじゃないか」と言ったのが法然、親鸞なのです。

” — P140 法然院 貫主 梶田真章 仏教と先祖教 『宗教者に聞く!』日本編・上』読売新聞大阪本社編/法蔵館

Jun 09

“私たちは自分自身の魂について分かっていないのだし、まして他人の魂についてなど分からないのだ。人間は長々とつづく道を手に手をとって歩き通すのではない。一人ひとりの道には原生林が、鳥の足跡さえも見られない雪の広野が横たわっているのだ。ここを私たちは一人で歩み、だからこそその道がより好きなのだ。つねに同情され、つねに同伴され、つねに理解されたら耐えがたいだろう。” — On Being Ill, Virginia Woolf, 1930
『病むことについて』ヴァージニア・ウルフ(川本静子訳)、みすず書房,p79

Apr 20

桜が咲きはじめた3月の終わり、春休みのメイッコたちを連れて姉が里帰りをした。「みんなで王子動物園に行くけど一緒にどう?」と言う。王子動物園は、私と姉がメイッコたちと同じようなチビッコだった頃、家族4人でよく遊びに行った。ゲートを入ってすぐ左手に広大なフラミンゴ池があって、「動物園に来たぞ」というワクワク感と「楽しかったけど疲れて眠い」という記憶が靄のように、鮮やかなサーモンピンクの鳥たちの映像に重なっている。ところが、大人になった私が見る「広大なフラミンゴ池」はあまりにも小さく、自分が巨人になってしまったような気分を味わいながら、幼い記憶を上書きしてしまったのだった。

巨人で大人になった私とチビッコメイッコたちが、一緒に「うわー!」と見上げたのはゾウである。ゾウは大きい。いくつになっても、人生の道がどこかで曲がりくねっいても。ゾウの前で、我々は「大きいねー」という言葉を玉入れの玉のようにぽいぽい投げあげた後、敢然とパンダやペンギンや観覧車やお弁当やアイスクリームを乗り越えて、くたびれ果ててよろめくまで遊んだのであった。

後日、メイッコに手紙を書く約束になっていたので、私は「桜の森をのしのし歩く象に乗ってはしゃぐメイッコ」を描いた。絵の下には「ぞうさん おおきかったね」とひらがなを綴った。そろそろ読める文字があるらしいのだ。姉の報告によると、メイッコはこの絵をたいそう気に入り、絵を見ながらお話を創作してしゃべっていたらしい。絵と彼女の間で、いったいどんな物語が生まれたのだろうか? 記念すべきメイッコとのコラボ作品1号の誕生に、叔母バカは思わず身をよじって喜んでしまうのである。

桜が咲きはじめた3月の終わり、春休みのメイッコたちを連れて姉が里帰りをした。「みんなで王子動物園に行くけど一緒にどう?」と言う。王子動物園は、私と姉がメイッコたちと同じようなチビッコだった頃、家族4人でよく遊びに行った。ゲートを入ってすぐ左手に広大なフラミンゴ池があって、「動物園に来たぞ」というワクワク感と「楽しかったけど疲れて眠い」という記憶が靄のように、鮮やかなサーモンピンクの鳥たちの映像に重なっている。ところが、大人になった私が見る「広大なフラミンゴ池」はあまりにも小さく、自分が巨人になってしまったような気分を味わいながら、幼い記憶を上書きしてしまったのだった。

巨人で大人になった私とチビッコメイッコたちが、一緒に「うわー!」と見上げたのはゾウである。ゾウは大きい。いくつになっても、人生の道がどこかで曲がりくねっいても。ゾウの前で、我々は「大きいねー」という言葉を玉入れの玉のようにぽいぽい投げあげた後、敢然とパンダやペンギンや観覧車やお弁当やアイスクリームを乗り越えて、くたびれ果ててよろめくまで遊んだのであった。

後日、メイッコに手紙を書く約束になっていたので、私は「桜の森をのしのし歩く象に乗ってはしゃぐメイッコ」を描いた。絵の下には「ぞうさん おおきかったね」とひらがなを綴った。そろそろ読める文字があるらしいのだ。姉の報告によると、メイッコはこの絵をたいそう気に入り、絵を見ながらお話を創作してしゃべっていたらしい。絵と彼女の間で、いったいどんな物語が生まれたのだろうか? 記念すべきメイッコとのコラボ作品1号の誕生に、叔母バカは思わず身をよじって喜んでしまうのである。

Mar 25

『花園』誌(妙心寺発行)での連載がスタートしました。タイトルは『お坊さんにご用心』。表紙イラストと題字はお坊さん+イラストレーターの中川学さん。私のエッセイにもイラストを描いていただいて、ヤッホー!な気分です。30冊もいただいたので欲しい人にはお送りします。いろんな連載があって読みごたえありますよ。

『花園』誌(妙心寺発行)での連載がスタートしました。タイトルは『お坊さんにご用心』。表紙イラストと題字はお坊さん+イラストレーターの中川学さん。私のエッセイにもイラストを描いていただいて、ヤッホー!な気分です。30冊もいただいたので欲しい人にはお送りします。いろんな連載があって読みごたえありますよ。

Nov 01

“「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。そして耳たぶを掻く。きれいなかたちをした耳たぶだ。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
 「そういうステッカーも悪くないな」と僕は言う。「『人間というのは、どこまでいっても自分以外にはなれないものだ』」
 彼女は声をあげて楽しそうに笑う。それで、さっきまでそこにあったひからびた微笑みの影はどこかにふっと消えてしまう。” — 村上春樹『Birthday Girl』 めくらやなぎと眠る女/新潮社所収