布を織ること、衣服を着ることの象徴的な意味は、王権にだけかかわるものではない。西アフリカでも、布を織ることが比較的古くからあったらしい社会では、織ることとことばを話すことが、関連した行為と考えられている。フランスの言語人類学者カラム=グリオール教授によると、ドゴン族にとって口は息をことばに織る器官であり、歯は筬(おさ)に、舌は杼(ひ)に、のどびこは綜絖(そうこう)に対応するという。そして手が交互に投げる杼の往復運動によって布が織られてゆくさまは、問いと答えのやりとりによって、ことばが織られてゆくのに比せられるという。

 考えてみれば、同じような類比は、文字を用いる社会では、織る行為と文をつづる行為のあいだに認められるかも知れない。日本語でも、元来模様とか筋道を意味したらしい「あや」という言葉など、文(あや)にも通じる一方で、織機の綾糸や綾巻き、あやひと(上代の大陸渡来の職工)等の語も派生させている。美しい文章をつづることを意味する「あやどる」などは、両方にまたがる表現であろう。

 ラテン語の「織る」(texere)の系統をひくヨーロッパ諸語でも、英語を例にとっても、「織物」(textile)の一部を切りとれば「原文」(text)になり、その前につぎをあてると「文脈」(con-text)の意味にもなる。だが、私がここで問題にしたいのは、織られた布などで身を「よそおう」行為と、ことばのうちでも「名づける」行為とのかかわりだ。

P236-237, 19 文化のなかの技術/川田順三『サバンナの手帖』
なつかしい本を手に取って、過去に自分が折り目をつけたページを開き、「問いと応えのやりとりによって、ことばが織られてゆく」の一節にはっとする。織りかけたままホコリをかぶってしまっていた思考の糸を巻いた杼を手に取ってカタンと機織り機を動かしたような感じ。そして、その音の余韻が耳に残る。

12:33 am, by bouzu-show  Comments
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