「サンドイッチね」とメイッコ1号が赤い折り紙と緑の折り紙を裏返して三角に折り、すこしずらして色を見せた。「トマトとレタスかなぁ」と言うと、今度はピンクと黄緑を選んで折り、「これ、ハムとおやさいね」と渡してくれる。メイッコ2号は手あたりしだいに紙を握りしめて得意顔になり、姉は「あーあーあ……」とため息をつきながら、バラバラになった残りの折り紙をトントンとまとめた。
「食べてみよっか?」とメイッコ1号が折り紙のサンドイッチを両手で持ち上げた。私もマネをして両手で折り紙を持ち、「食べてみる?」と答える。メイッコ1号は、おかしくてたまらないといった表情で、はむとサンドイッチを唇にはさんだ。私も、はむと紙を唇に挿し込む。「おいしい?」と聞いてみると、あいまいにはにかんでいる。気がつくと、赤と緑の折り紙はくるくると丸めてひねられて「おリボン」に変わっていた。
帰り際に、メイッコは「おねえちゃん、これ持って帰って」と私たちの「サンドイッチ」を渡してくれた。「ありがとう」と受け取って、私はそれをスーツケースのポケットにしまった。小さい頃、私もこんな他愛のない贈り物を、たくさんの人たちに渡していただろう。ふと、困惑した顔で「これ、おばちゃんにくれるの?」と言った後で、母と笑いあっていた叔母の顔を思いだす。
こんなに愛おしい贈り物なのにな、と私は思う。でも、いろんな受け取られ方があっていいとも思う。「くちゃくちゃの折り紙」で「ごみみたいなもの」でもあるのは事実だ。もらっても価値がなく、使い道もないと思う人がいるのも当然だろう。ただ、私がこれを愛おしい贈り物だと思うなら、その思いをメイッコ1号に伝えてみたい。
姉の家から帰ってしばらく後、私は机の上に置いてあった4枚の折り紙を広げて伸ばした。この紙で、何かを折ってメイッコ1号への「お手紙」にするのはどうだろう? 離れていても、メイッコ1号のことを思っていること、「サンドイッチ」も「おリボン」も忘れてないよと伝えることくらいはできるかもしれない。ネットで「折り紙」と検索すると、折り方を解説するサイトを見つけた。ピンクと黄緑は、折り紙のサンドイッチに。赤はバッグに、緑は腕時計になった。メイッコ1号は、これを見て私と折り紙で作った「サンドイッチ」を食べたことを思いだすだろうか?
忘れてしまっていてもいいのだと思う。たいがいにおいて、私たちは数多くの言葉を弄するけれども、「あなたのことを思っている」ということ以外に伝えられることなんてない。あとは「どんな風に」を表す修飾に費やされるだけなのだ。今日、姉から「届いたよ」と電話があった。手紙が届く。ただそれだけでうれしい。

