貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生ずるのであるか。好きと嫌いと身の毛のよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?――あたかもこどもらが烏を投げ捨てるように(270)

貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、――あたかもこどもらが烏を投げすてるように。(271)

それは愛執からから起り、自身から現われる。あたかも榕樹の新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の欲望に執著していることは、譬えば、蔓草が林の中にはびこっているようなものである。(272)

理法にかなった行い、清らかな行い、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても、(274)

もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。(275)

争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。(276)

スッタニパーダ 中村元訳

09:36 pm, by bouzu-show  Comments
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