帰ることのできる場所

“おじいさんと一緒に過ごした日々は今のぼくにとって唯一無二の帰る場所だ。だれもが子どもの頃に、あたりまえに過ごした安心できる時間。そんな時がぼくにもあったんだ、という自信が、きっとこれから先のぼくを勇気づけてくれるはずだ。”
――椰月 美智子『しずかな日々』講談社文庫


積読本が数冊あるというのに、出かけるときに限ってカバンに入れ忘れてしまう。とはいえ、一泊するとなると、本が手元にないのはさびしい。駅前の書店にかけこんで、文庫本の棚に目を走らせた。ふと、平積み台に一段高く積まれたやわらかな写真の表紙に目がとまる。「おじいさんの家で過ごす日々のなかで成長していく少年を描く」児童文学、らしい。

ひさしぶりに姉が大阪の実家に帰って来た。4歳と1歳8か月の姪っ子たちを連れて。彼女たちに会いに、そしてごぶさた気味の両親に顔を見せるための帰省だった。小一時間ほど電車に揺られながら読むのにちょうどいい本かもしれない。あわただしくレジを通り過ぎて駅にすべりこむ。込み合う車内で立ったまま、ページを開くと冒頭の文章のところでいきなり目がしらが熱くなってしまった。

実家に帰ると、姪っ子たちに絵本をプレゼントした。さっそく「おねえちゃん、読んで?」と持ってくる。今回あげたのは「すてきな三にんぐみ」。コワモテで恐れられていたドロボウ3人組が、みなしごの女の子に拾いあげてから「奪ったお宝」でお城を買うことを思いつく。そして、さびしく、つらい思いをしている子どもたちをたくさん連れてきて、みんなで幸せに暮らすというお話だ。

姪っ子はふしぎがる。前半の「こわーいどろぼうさん」が、どうして後半の「だいすきなおじさん」に変わってしまうのか。「みなしご」ってどういう意味なのか。「おとうさん、おかあさんいないのさびしいね」と言いながら、友達の名前をひとりひとり呼ぶ。「○○ちゃんのお父さん、お母さん、いないとさびしいね」「○○くんのお父さん、お母さん、いないとさびしいね」。

この子はいま「お父さん、お母さんがいる世界」にいる。「おじいちゃん、おばあちゃん」や「おばちゃん」もそこにいて、「まだどこにも行っていない」。この子がいつかどこかに出かけて「帰りたく」なったときに、「今このとき」が「帰ることのできる場所」になればいいなと思う。ほんとうに、ほんとうに。


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01:55 pm, by bouzu-show  Comments
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