Tagged: メイッコ.

言葉を使うことなしに

雨のバス停を下りてひとつめの角を曲がると、小さな傘が歩いて来て恥ずかしそうに私を見上げた。そっと手を差し出すと、小さな手が握り返してくる。私とメイッコ1号は手をつないで姉の家までの道を歩きはじめた。

家に着くと「お姉ちゃんにおてがみー」と折りたたんだ紙を持ってくる。4歳のメイッコ1号はまだ文字を知らない。裏にも表にも、一面にピンク色とうすい黄色の色鉛筆でぐるぐる描いたバラの花。このバラにはちゃんと見覚えがある。夏に実家で会った時、誕生日プレゼントにあげた造花の小さなブーケだ。赤いバラを黄色い薄紙に包んだものを渡すと「ピンクがすき」と小さな声で言っていた。この手紙は、そのときの気持ちを伝えてくれるものだろうか。

「この子ねえ、『おねえちゃん来るよ』って言ったら、『やったー!』って叫んでジャンプしたのよ」と姉が言う。メイッコ1号はそしらぬふりでメイッコ2号とはしゃいでいる。しばらくすると、やはりプレゼントした絵本『すてきな3にんぐみ』を持ってきて読んでくれとせがむ。もう、絵本の内容はすっかり頭に入っているらしく、ときどき声を合わせてセリフを口に出して笑う。

「こっちのも読んで?」と持ってきたのは、お風呂が大好きなアヒルの絵本。「アヒルさんねえ、お風呂がだーいすきなんだけどね」と言う。実家で私と一緒にお風呂に入ったことが楽しかったと言っていたと母から聴いた。そのことを、一緒に思いだしたくて、この絵本を持ってきたのかな、と思う。

メイッコ1号は、そんなに言葉多い子ではない。むしろ、2歳にならないメイッコ2号のほうが口が早く、絶え間なく誰かの口真似をしているくらいだ。でも、メイッコ1号のコミュニケーションはとてもていねいだ。大切にしている思いを自分の持つ方法でけんめいに伝えてくれる。もしも、私が言葉を持たなかったとして、これほどまでに繊細に思いを伝えることをするだろうか?

「そろそろおねえちゃんは帰るよ」と姉が言うと、ワッと笑顔が消えて泣き顔になる。抱きしめて「ごめんね。また来るからね。ごめんね」と言うと、体のこわばりが取れてやわらかくなった。つらい思いをしているときでも、ちゃんとこちらの思いを受け止めようとする。こんなときの、メイッコ1号には人としてのとてつもない大きさを感じてしまう。

「いちごのフルーチェ作ったから食べて」と、小さなお盆を持ってくる。おいしいねえ、と何度も顔を見合わせながら食べる。「今度はね、桃のフルーチェを作るんだけどね」と話してくれる。この日に一緒に過ごしたことを、そのときに感じていたことを、私はどんな手紙でメイッコ1号に伝えることができるだろう。言葉を使うことなしに。

たった4歳でも、メイッコ1号にはかなわない。

05:07 pm, by bouzu-show  Comments

帰ることのできる場所

“おじいさんと一緒に過ごした日々は今のぼくにとって唯一無二の帰る場所だ。だれもが子どもの頃に、あたりまえに過ごした安心できる時間。そんな時がぼくにもあったんだ、という自信が、きっとこれから先のぼくを勇気づけてくれるはずだ。”
――椰月 美智子『しずかな日々』講談社文庫


積読本が数冊あるというのに、出かけるときに限ってカバンに入れ忘れてしまう。とはいえ、一泊するとなると、本が手元にないのはさびしい。駅前の書店にかけこんで、文庫本の棚に目を走らせた。ふと、平積み台に一段高く積まれたやわらかな写真の表紙に目がとまる。「おじいさんの家で過ごす日々のなかで成長していく少年を描く」児童文学、らしい。

ひさしぶりに姉が大阪の実家に帰って来た。4歳と1歳8か月の姪っ子たちを連れて。彼女たちに会いに、そしてごぶさた気味の両親に顔を見せるための帰省だった。小一時間ほど電車に揺られながら読むのにちょうどいい本かもしれない。あわただしくレジを通り過ぎて駅にすべりこむ。込み合う車内で立ったまま、ページを開くと冒頭の文章のところでいきなり目がしらが熱くなってしまった。

実家に帰ると、姪っ子たちに絵本をプレゼントした。さっそく「おねえちゃん、読んで?」と持ってくる。今回あげたのは「すてきな三にんぐみ」。コワモテで恐れられていたドロボウ3人組が、みなしごの女の子に拾いあげてから「奪ったお宝」でお城を買うことを思いつく。そして、さびしく、つらい思いをしている子どもたちをたくさん連れてきて、みんなで幸せに暮らすというお話だ。

姪っ子はふしぎがる。前半の「こわーいどろぼうさん」が、どうして後半の「だいすきなおじさん」に変わってしまうのか。「みなしご」ってどういう意味なのか。「おとうさん、おかあさんいないのさびしいね」と言いながら、友達の名前をひとりひとり呼ぶ。「○○ちゃんのお父さん、お母さん、いないとさびしいね」「○○くんのお父さん、お母さん、いないとさびしいね」。

この子はいま「お父さん、お母さんがいる世界」にいる。「おじいちゃん、おばあちゃん」や「おばちゃん」もそこにいて、「まだどこにも行っていない」。この子がいつかどこかに出かけて「帰りたく」なったときに、「今このとき」が「帰ることのできる場所」になればいいなと思う。ほんとうに、ほんとうに。


『しずかな日々』 http://amzn.to/bPzIEX

01:55 pm, by bouzu-show  Comments