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祇園祭日記:鉾立て(7月10日)


いよいよ、鉾が立つ日がやってきました。長刀鉾、月鉾、鶏鉾、菊水鉾、函谷鉾など、大がかりな屋台を組む鉾は今日から三日ほどかけて作られていきます。


祇園祭の鉾は、巡行の日には4~50人の囃子方を乗せて曳きます。飾りをつけ、人を乗せた鉾の総重量は、約20トン。その土台を支える部分を作り始めています。鉾を建てるとき、釘は一切使われません。釘を使っていたら、あっという間に重みに耐えきれずに瓦解してしまうのだとか。重みや動きにしなる木の動きを、しなやかに吸収するべく編みあげられた縄が、屋台をしっかり支えているのです。縄ってすごい。


毎年、感心して見惚れちゃうのですが、この編み目はほんとうに芸術的な美しさ。縄ふぇち(?)的なファンの方もおられて、この時期に見に来るらしいというウワサを聴いたことがありますが、それもアリかもしれないなぁと思ったりします。


鉾立てがはじまると、結界が作られます。四条通りは片側車線のみ一部通行止めですが、菊水鉾の立つ室町通は四条・錦小路間は17日まで通行止めになっちゃいます。これを見ると「ああ、祭りが日常を凌駕していくのだな」と思い、ワクワクしてきます。そう、いつだって日常なんてひっくり返るんですよね。

そして、10日夜は八坂神社から御神輿が出て鴨川で「神輿洗い神事」が行われました。この行事は、一度も見たことがないのですが、神輿洗いの水をかぶると「厄除け」になるそうです。八坂から出る御神輿は、スサノオノミコト(素戔嗚尊)とその妻クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ふたりの子どもたちであるヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)ファミリー。

ってことになっていますが、これは明治のいわゆる廃仏毀釈(神仏分離令)以降のこと。もともとは、牛頭天王とその妻ハリメ(婆利女)、その息子の八王子が祀られていたようです。八坂神社という名前もその頃からのもので、もともとは祇園社。つまり、お釈迦さまの祇園精舎にちなんだ名前のつく、どちらかというと仏教色の強いお社でした。このあたりの話を、鉾町の町衆に聞くと「牛頭天王さんがな、日本ではスサノオノミコトいう神さまになるんや」と、神さまの上書きというか読みなおしとしてサクッと語られるので面白いです。

それにしても、祇園という名前の花街があると聞いたら、お釈迦さまもビックリ!かもしれませんねえ。

12:29 pm, by bouzu-show  Comments

祇園祭日記:吉符入り(7月1日)


今日は、祇園祭の吉符入り。四条通りの長刀鉾、月鉾、函谷鉾のあたりに、提灯つきのゲート(?)が立っていました。月半ばの宵山、山鉾巡行というクライマックスを経て、7月31日に八坂神社境内・疫神社の夏越祭で終わり、になります。お祭りの主な日程は、京都新聞社の祇園祭特設サイトに詳しいです。

祇園祭は宵山だけ、巡行だけを見ると、巨大な展覧会のようなお祭りですが、実は幾重にも折り重なる神事・祭事があって成り立っています。日本人の信仰のありかたとか、願いのありかたとか、日本文化と呼ばれるもののチャンポンぶりとか、いろんなことが見えてくる凝縮度の高いお祭りですので、ちょいちょい通ってみると面白いですよ。


各山鉾のお会所(町会所)も開かれます。ここが各山鉾の立てられる場所であり、それぞれの山鉾の「ご神体」をお祭りする場所。これから毎夜、お会所の2階の窓には囃子方がそろいの浴衣で祇園囃子をかなでる姿が見られます。

お会所は、月鉾や船鉾、あるいは今では唯一現存する“鉾蔵”を持つ放下鉾のように、昔ながらの町家スタイルのところもあれば、函谷鉾や菊水鉾のようにビルやマンション化されているところもあります。写真は菊水鉾。ふだんはふつうのマンションですが、お祭りの間だけこうしてお会所に早変わりするのです。

吉符入りから、町は日に日に祝祭空間へと姿を変えて行きます。
祇園祭は、町全体の厄をはらい、疫病をはらうお祭り。暑い夏、バテそうな心や体が、祭りに向かって盛り上がっていくことが、いちばんの「厄除け」なんじゃないかと思ったりもします。

10:33 am, by bouzu-show 1  |  Comments